最初にいうが、はっきり言って総合商社を辞めるなんて正気じゃない。
今もし周りに総合商社を辞めようとする人がいたら、全力で止めてあげてほしい。
給料は日本でトップクラスだし、世界にも稀に見る多角的な事業展開で、会社はぐらつきを感じさせないほど安定している。
筆者は20代後半で退職したが、待遇は本当に良かった。
昔話になるが、当時は20代で年収は1000万円を超え、会社の堅調な成長により、平均年収は2000万円目前に迫っていた。
海外駐在中には、地上30階以上のタワマンに住み、運転手付きの車で毎日通勤していたが、これら全てを会社が負担してくれていた。
社会的ステータスも申し分なかった。
私の同期は、入社後数年で1億円を超えるマンションを購入したが、銀行のローンの審査はスムーズ過ぎるほどあっさり通過し、腰を抜かしていた。
退職した今でも、素晴らしい企業だったと心から思う。そんな総合商社を辞めるに至った理由を、今回お話しよう。
ちなみに、これから話すことは日々の投稿と矛盾していることもあるが、当時感じていたことを素直にお伝えするので大目にみてほしい。
・総合商社を辞めた、変わった人間を興味本位で見てみたい人
・JTCに勤める若手社員
キャリアに悩む若手社員には共感してもらえる所も多いだろうし、転職を考えている人にも参考になるかもしれない。
①会社に縛られる人生が嫌だった
突如命じられる転勤、上司からの理不尽な要求、興味の持てない事業領域、意義の感じない社内外の接待。
定年まで勤め上げるサラリーマンとして、これら全てを受け入れられるだろうか。
当時は会社に対して、特段にこれといった不満はなかったのだが、将来を考えた時、私には到底無理だった。
では、どうすればいいかと考えたとき、社外でも通用するスキルを獲得し、貴重な人材になることで、自分の要求が通る人間になれば良いと考えた。
しかし、このまま総合商社にいても、社外で通用するスキルや経験は育たないだろう。
そこで20代後半の私は、新しい環境で自分自身のスキルや経験を磨こうと決意した。
しかし、なぜ総合商社ではそれが実現できないと思ったのだろう。
商社は基本として、独自の技術や商品を持たない。そして、「商社」という事業モデルの特殊性は、その経験を他業界では活かすことが難しい。
これを説明するために、当時担当していた事業内容をざっくり紹介しよう。
私が担当していたのは、メーカーの技術力を駆使し、工場のエネルギー効率を上げて、コスト削減を図るという、新規事業開発だった。
全体的な流れとしては、
①最先端の技術を持つ国内メーカーを発掘して出資
②世界中から販売先となる潜在顧客の絞り込み、選定
③その潜在顧客と交渉し、需要をヒアリング、導入提案→契約締結
といった感じだ。
この過程で、総合商社は最終的な意思決定は行うものの、実は全ての重要な局面でプロの力を借りている。
①の出資では、投資対象の調査を「プロフェッショナルファーム」に依頼
②の市場調査では、「コンサル」に依頼
③の技術面の評価では、「メーカー」頼み
といった具合だ。
もちろん、この事業を成立させるには、ビジネス全般(業界知見・財務・法務等)を一定程度理解し、全体をマネジメントしながら意思決定を行う商社パーソンが不可欠であることは間違いない。
しかし一方で、業界を跨ぎ、社外で幅広く通用する専門性を身につけることが難しいというのも、事実だった。
しかも、新規事業開発といえば聞こえは良いものの、例えば潜在顧客との面談一つとっても、総合商社という基盤やネームバリューがあるからこそ出来ている部分が多かったと思う。
大企業に所属し、国家プロジェクト並みの事業を動かしたとしても、自分自身に焦点を当てた時に、残るものは何かと自問自答していた。
時代の流れも、新卒一括採用や、メンバーシップ型雇用が疑問視され始めていた。
そして、転職の一般化や、ジョブ型雇用へのシフトにより、専門性の重要度が増している。
そのため30歳も間近だった当時の私は、このまま会社にしがみついて生きていくしか無いのかと真剣に悩んでいた。
きっと30代半ばにもなれば、専門性のないビジネスマンが、総合商社の待遇を維持しながら、他企業に転職することなど不可能だろう。
そうなれば、どんな理不尽も受け入れ、興味のない嫌な仕事も引き受けなければならない。
それが、すごく不自由に思えた。
そして、社外でも通用するスキルを獲得することが、この悩みを解決し、会社に縛られない人生を送るために必要だと考えていた。
②ベンチャー企業への憧れ
IT企業に代表されるように、現代はベンチャーが急成長を遂げ、ユニコーン企業として世界中の注目を集める時代だ。新しいテクノロジーもどんどん社会実装されている。
その一方で、総合商社のビジネスは、資源分野に代表されるように、大きな利権を押さえて、長期に渡り安定した利益を上げていくことが基本だ。
特に私の担当事業は技術革新が起こりにくく、時代を駆け抜けていくスピード感は全くなかった。
そう感じている時に、ベンチャー企業に勤める大学時代の友人と再会したのだが、彼がキラキラとした目で将来の夢を語り、自分が携わる仕事がどんな風に社会を変えていくのかを真面目に考える姿を見て、言いようのない羨望が込み上げてきた。
自分も夢を持てる仕事がしたいと思った。
もちろん、すぐに辞めるという選択肢だけでなく、部署間異動によって希望の仕事ができる可能性もあった。
最近では、総合商社も部署間異動が増えている。
しかし、背番号制と言われるように、実際には異動のハードルは高く、ずっと同じ部署でいる可能性が高い。
そのため日を追うごとに、転職への気持ちが強まっていた。
転職サイトや転職エージェントに登録し、転職活動を続けていくと、ありがたいことに沢山のオファーを頂けた。
そして、当時は輝いて見えていた、経済誌にも「今注目のベンチャー企業」として取り上げられていた一社に転職することになった。
ベンチャー企業への憧れという、今思えば軽薄な理由だったかもしれないが、その当時は自分にとって清々しい夢への第一歩に感じていたのかもしれない。
まとめ
細かい理由も他にあるが、大きな理由を挙げるとしたら、これまで述べてきたことだ。
総合商社の破格の待遇は時として、会社に縛り付けられるという「呪い」になる。
30代・40代を迎えた時、私はきっと、この破格の待遇を逃したくないために、会社にしがみつくだろう。
そうなれば、不満を感じていようが、仕方なく「会社に縛られる人生」を続けるしかない。
専門的なスキルを獲得し、いざとなれば会社を辞めても生きていける安心感と自由が欲しかった。
そして、ほんの数年で社会の仕組みをガラリと変えてしまうベンチャー企業への憧れは抑えきれなかった。
ここで挙げた退職理由は、今振り返って正解だったと思う部分もあれば、そうじゃない部分もある。他の記事では、退職理由の検証もしているので、興味があれば読んでほしい。
最後になるが、この記事を読んでくれる読者も今まさに、キャリアに悩んでいる最中かもしれない。その悩みはどんなに大手で勤めていようが、起こりうることだ。
入社して何年か経つと、自分が今後どんなキャリアを歩むのか、見えてくる。
そしてこの先何十年も同じ会社に勤めるかもしれない、と考えると、自分の人生そのものが会社と存在していることに等しく思う。
仕事に限らず、恋愛や人間関係などに悩み苦しみ、輝いて見える周りの人と比べて自分の状況に不安感や焦りを覚えるのは珍しいことではない。
海外では、クオーターライフクライシスと呼ばれ、20代後半から30代の人(クオーターライフ)の約7割がこういった問題に直面するそうだ。
正解は一つではないし、どの選択をしても、きっとまた新たな悩みが出てくるだろう。
筆者は20代後半から30代にかけて、ベンチャーも大手も経験し、多くの失敗をしたので、この経験をお伝えし、ここで巡り会えた読者のキャリアの参考になることを願う。
これからも発信を続けていくので、ぜひ応援してもらえたら嬉しい。
最近は転職のハードルは下がり、新卒一括採用が主流だった大企業も、その採用方針は確実に変わった。
誰もが知る超有名企業でも、最近は中途比率が50%を超えるなど、その年に入社する社員の半数以上が転職者ということも珍しくない。
大手ホワイト企業への転職は、確実にチャンスが広がっている。
そして、待遇の良さは、その人のスキルや仕事で求められるレベルに関係なく、所属している企業によることが大きい。
待遇の改善を目指して転職することは大賛成だ。ぜひ、気軽に挑戦してみてほしい。
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